「恵みによって救われた者」 06.04.02
使徒言行録15:1〜21
神さまから「わたしがあなたを忘れることは決してない。
見よ、わたしはあなたを、わたしの手のひらに刻みつける」
(イザヤ49:15〜16)と、語りかけられるような、深くて、固い、
永遠の結びつきの中におかれる。
「救い」とは、神さまとのそのような結びつきに入れていただく
ことといえるでしょう。
「どのようにしたら救われるか」を巡って、議論がなされた
ことが描かれています。そこで考えられている救いの内容は、
神さまに受け入れていただくというものでした。全能の神さまと、
どのような関係にあるかが問題とされています。それこそが
人間にとって一番重要なことであり、何よりも気にすべき事柄で
あると教えてくれます。
「救い」ということを、病気や悩みや問題などの解決と考える
ことがあります。それらも大事ですし、そのような救いも神さまは
与えてくださるでしょう。
しかし、どんなに元気で、すべて順調で問題がなく、平安で楽しく
生きていたとしても、神さまとの関係が破れ、失われていたならば、
その人は救われてはいません。神さまとの結びつきなしには、
神の国に入れられず、死と滅びに進むしかないからです。
神さまと自分の間の確かな関係は、割礼を受け、律法を守る
生活をすることで生まれてくると考えて、それを、割礼を受けて
いない異邦人クリスチャンにも求めた人がいました。その人たちは、
自分自身が主イエスの十字架の恵みによって自分の罪を赦して
いただき、自分の欠けを拭っていただくことで、神さまに受け入れて
いただいたことを忘れていました。自分が恵みによって救われた
ことを忘れた時、人に行いを強要し、救いの恵みを邪魔する方へと
進んでしまいました。
この時、パウロは神さまがなさったことを人々に報告しました。
自分ではなく、神さまがなさってくださったことに注目します。
レントのこの時、私たちはイエスさまがなさってくださった
十字架に目を注ぎます。